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テクニカルコミュニケーションシンポジウム2010
今週、24日(火)、25日(水)と二日間にわたり東京で開催されたテクニカルコミュニケーター協会主催のシンポジウムに参加した。
初日の基調講演は、グラフィックデザイナーの原研哉氏と工業デザイナーの山中俊治氏の対談。そうそうたる顔ぶれのお二人のお話には、「伝えること」のこれからを考える上でのヒントがちりばめられていた。お二人とも本当に楽しくお仕事されていることが伝わってくる。とても元気が出るお話だった。
山中氏は慶應のSFCの教授でもある。こんな先生のもとで勉強ができるなんて羨ましい・・・!きっと元気な楽しい研究室に違いない。彼は漫画家でもある。
原氏の冒頭の一言「デザインとは理解を生み出すナビゲーション、理解への最短距離をデザインする」が印象的だった。本もたくさん執筆している。なかでも『白』をぜひ読んでみたい。
基調講演の終盤に山中氏が思いつきで語った、「テクニカルコミュニケーションにおけるこれからのソーシャルなネットワークの設計のカギ」についての話、アンテナにビビッとひっかかった。かすかに表れるパーソナルなキャラクター。物の使い方がどんどんパーソナライズされる今、TCサイドの情報発信者のパーソナルなキャラクターをかすかに表に出し、パーソナルなコミュニケーションを成立させていくことがカギになる、というお話。とっても参考になる。2時間半の講演はあっという間だった。
午後はオープンソースの翻訳ツールについてのパネルディスカッション。新しい情報をいろいろと聞けた有意義なセッション。これから試してみたいこと盛りだくさんの内容だった。
2日目は丸一日DITAデー。午前はコンテクストライティングとトピックライティングについてのパネルディスカッション。DITAでマニュアル作成をした企業担当者の経験談、実際に作成にあたる方の具体的なライティングについてのお話など、DITA関連の話がメインだった。
午後はTC協会のDITAのワーキンググループによる、「TCの視点から見たDITA」テクニカルコミュニケーションにおいてDITAはどうなの?というお話。DITAのとても細かい説明が冒頭で長く続き、すご~く難しい。具体的すぎて私のように全体像がまだよく見えていない人間にはきつかった。最後にドイツのTC団体、tekomの方からのドイツでのDITAについてのお話はとてもわかりやすかった。TC協会の方の話とtekomの方の話をまとめると、DITAはone of standardsであり、特にこれがいいというものではない、大事なのは目の前にある仕事の目的をしっかり把握してそれに合う方法を探すこと、それがDITAである場合もあるしそうでない場合もある、ということらしい。DITAありきではなく、どちらかといえばその上にCMSがある、と考える。tekomの方のこの一言。そうか、そういうことか~。わかりやすい。
二日間のシンポジウム。TCといってもいわゆるマニュアル制作をしているわけでない私としてはかなり知識不足なこともあり、「?」という瞬間は多かった。その中で基調講演のお二人のお話と、ディスカッションのパネラーとして参加されていたフランス人とドイツ人のお話はかなり分かりやすかった。私にはとても伝わってきた。こんなところにもこれからのコミュニケーションのヒントが見えた気がする。
基調講演以外は、全体的に議論の中心にあったものは「伝える」ことの効率を高めるためのいろいろな技術であったように思う。私が翻訳(特に英訳)をしてきた中でずっと感じてきたもやもやは、これらの技術では残念ながら解消はされない。閉塞感てんこ盛りの今の日本には、「伝える」こと「発信する」こと「コミュニケーション」することをもっと根本を議論する必要があるのではないか。私は私なりに、「理解を生み出す最短距離」をデザインすべく日々邁進し行こうと思う。 -
アメリカで感じた日本 (その3 NYC)
あっという間に帰国から早1か月が過ぎてしまった!しかし、久し振りのアメリカ旅行であり、たった一人での旅は私のこの夏の最大イベントであり、そこで見たこと感じたことは、まだまだしっかりと記憶にとどまっている。
Bostonのホテルを早朝にチェックアウトし飛行機でNYCへ。(これ実は大して楽じゃない。次回はバスかAmTrakにしようと心に決める・・・)Newark airportからここでもタクシーを使わない、と心に決めて電車でホテルまで行くことに。結論から言うと、これ、やめた方がいいです。荷物があるならマンハッタンのホテルまではタクシーにしましょう~。
Bostonのようにスムーズには全然行かなかった。大きな荷物を転がして3回ほど乗り換え。地下鉄の乗り換えではマンハッタンのど真ん中でスーツケース引っ張って1ブロック歩くはめに。飛行機が早かったせいでマンハッタンは朝のラッシュ時。人が多い!そして暑い!よほどくたびれて見えたのか、どの電車だったか、いかつそう~なおじさんが席を譲ってくれました・・・。
さて、ようやく目的地、East VillageのBowery Hotelに到着。ここはとても満足なホテル。場所的にも観光客らしき人はほとんどいなくて落ち着いたエリア。いわゆるupperの5th avenueあたりとも42ndあたりとも全く違う。Soho, Noho, NoLitaエリアは歩いて行ける、New York Univ.の近くです。NYCに行くなら私ならまたこのエリアを選びますね。
旅行記はさておき、New Yorkという世界の中心的な街で一番印象的だったことは、「アメリカの懐の広さ」だ。アメリカの、というよりはニューヨークの、と言うべきかもしれない。この街はアメリカ人というより、ニューヨーク人で成り立っている。ここには白人よりもメキシコ系、中国系、インド系、イタリア系・・・いわゆるマイノリティの人々の方が多いのでは、と思うくらいに、本当に「人種のるつぼ」を体感した。
たくさんの国からこのニューヨークに人が集まってくる。そして住み着いていく。これをニューヨークという街は受け入れているのだ。日本からニューヨークを見れば、「そりゃ、移民の国アメリカだからねぇ」なんて思うくらい。自分もそうだった。でもニューヨークでこれを目の当たりにしたとき「ここが日本だったら?」「日本はこれを受け入れる度量があるだろうか?」と考えてしまった。
ニューヨークでは実にいろんななまりの英語が氾濫している。余り英語に堪能でない人もたくさん働いている。スーパーの店員さんの英語がなまってても、そんなことにケチをつける人はいない、みんなちゃんと受け入れてる。そういうもんだ、という文化がここにはあるような気がする。
一方日本人であることが当たり前な国、日本。海外からの労働者の受け入れを必要としながらもそれが進まない、進めたくない日本人の未熟さ。インドネシアやフィリピンの研修ナースには、滞在の条件として日本語での国家試験の合格という厳しい条件を突きつける。異文化、異人種と共存できない、したくない、というのはただの我儘のようなものではないだろうか。日本にとって何が大事なのか、日本人はもっとよく考えるべき時が来ている気がする。
言葉の問題で考えれば、人種のるつぼニューヨークでこそ、「伝えること、伝わること」が一番大事。きちんとした文法がわかって話している人の方がもしかしたら少ないかもしれない!一番文法を理解しているのは日本人かなぁ、そして一番英語でちゃんと伝えられてないのも日本人だったりして、なんて思ってしまった。
今回の旅では、日本人からのきちんとした発信の必要性を強く感じた。これは私の今のテーマでもある。アメリカに行き、出会った人々から感じ取った日本への印象は、私の思っていたそれよりずっと悪くない。たまたま飛行機で居合わせた30代のエンジニアの男性は、日本の歴史に詳しかった。そして日本が戦後に見せた復興の底力を信じ、日本の将来に期待する。NYCで知り合った30歳の女性ソーシャルワーカーは、日本の文化の素晴らしさを称える。こうした会話から私が感じ取ったのは、日本は実はまだ期待されているのではないか、ということ。「まだ」期待されいてるのかも。今ならまだ間に合う。つまり、今手を打たなくてはもう間に合わない!
日本が変わるのを、まだ待っていてくれてる。中国を向きながらも、アメリカは日本の変化を待っているような気がする。これがlast chanceなんだけどなぁ・・・なんて言いながら。それをみすみす逃してはもう本当に素通りされる国、日本、となってしまう。今動かないでいつ動く?!政治に、国にとても任せておけない今日この頃、日本人みんなが広い視野を持って、自覚して生きていこうよ。自分の言葉で自分たちをきちんと表現し相手にわかりやすく発信する。いろんな人と、いろんな国と、コミュニケーション、そしてダイアローグ(対話)をきちんと始めようよ。これに少しでも役に立てるような仕事をしていきたい、そんなことを感じ、再確認できた旅だった。 -
裁判員の弁護士評価が低いわけ NHK朝のニュースを見て
以前、「医師に日本語のコミュニケーション力を!」といった内容をブログに書いたが、今朝のニュースを見ながら、「弁護士にも!」とあらためて日本人のコミュニケーション力向上の必要性を感じた。
今朝のNHKニュースでは、「裁判員による弁護士の評価」を取り上げていた。調査結果によると弁護士の評価は低かったとのこと。ある裁判員経験者によれば、弁護士は評価できなかった、という。その方の話をまとめると、その理由は以下のようになる。
1.検察や証人の主張に逆らって、一方的に被告を弁護する主張を繰り返す。
2.その主張が論理的でない。
3.弁護をしたいのはわかるが、言っていることが分かりにくい。
結局この裁判では、弁護士の主張が余り通らない判決となったようだ。
弁護士業界サイドの話では、裁判員制度が導入されたことにより、弁護のやり方を変える必要が出てきたという。
これまでは、弁護士というのは裁判で被告を弁護する材料を全て並べたて、出来るだけのことを主張する、というやり方だった。裁判官の判決では、弁護士の主張に何か矛盾点や疑問があっても、すべての主張を総合的に見て最終判断する、というものだったのでこのやり方がまかり通っていたらしい。
ところが、裁判員が判断する場合、弁護士の主張の中に一つでも疑問や矛盾点があれば、他の主張も全て怪しく感じるようになる。なるほど、よくわかる。つまり、ある友人と、「すっごくいいやつ」と思って付き合ってきても、「え、あいつこんなところあったの?」というところを見つけてしまい、それが自分には相容れない場合、「あいつどんなやつだよ?」と全てを否定してしまうことがある、といったようなことだと思う。
そこで、弁護士としては、論点を絞ってわかりやすく主張していくことが求めらる用になった、という。つまり、情報を分類してトピックを絞り、論理的に組み立てて相手にわかりやすく伝える。コミュニケーションの基本である。実によいことではないか。というか、これまでは何だったんだろうか。一般の人の考え方が「裁判」という場に入ったおかげで、こんなに当たり前のことがやっと気付かれるようになった。
何事も閉塞された場ではそこの常識だけでまかり通り、外の常識とのギャップに気付かない。外からの風を入れることはとても大事だ。今、この国のカラパゴス化が広く危惧されているが、日本の中に目を向ければ小さなガラパゴスがたくさんあるような気がする。そういう一つ一つが、オープンエアーを少しずつ取り込んで活性化されれば、大きなガラパゴスは自然となくなっていくんだろう。
それには、コミュニケーション力向上は欠かせない。2010年 5月 19日 | Filed under ロジカルコミュニケーション, 気になること -
Jimdo Japan 1周年 イベント
昨日、Jimdo創業者来日記念イベント、行って参りました。
友人からJimdoっていうサイト作成のシステムがあるよ、これ、ドイツのシステム。って聞いたのが約2年前。
え~!こんな風にウェブサイトが作れるようになるの~?!すごい!
衝撃的に新しい。ウェブ上で、それも作成中のページ上ですべての作成、編集が出来る。しかも、タダ。
こういうツールがどんどんできてくるのかなぁ、と思いながらとにかく使ってみた。まだ、どんなリスクがあるかわからないからクライアント様に納品する訳にもいかないし、ということでここを使ってずいぶんテストアップをさせていただいた。アクセス制御がかかるので、作成中のサイトのテキストや画像の配置など、ざっくりしたプランをクライアント様にお見せするのに最適。URLとパスワードをお渡しして確認していただき、フィードバックをもらう。という感じに無料バージョン、Jimdo Freeをいくつか使わせていただいていた。
その後、jimdoがKDDIと提携しJimdo Japanとなってからは、サービス、日本語対応も確立され、安心してjimdoでお客様のウェブサイトを制作することが可能となった。htmlのサイト制作と別に、jimdoでの制作もプランに加え、いま現在4つのサイトをjimdoProで提供させていただいている。
jimdoの好きなところは、徹底的に使う人にやさしく設計されているところ。ユーザーへのわかり易さを大切にしていることが伝わってくる。これは私の想いと同じ。コミュニケーターとして読み手にわかりやすい、きちんと伝わる英訳や和訳、ウェブサイトの構築をいつも大切に想ってきた。必要なことをシンプルにわかりやすく伝える設計(デザイン)のお手本の一つ。
イベントではJimdo Businessのスタートと、今後のページパートナー、アフィリエイト機能が発表された。Businessは、本格的にjimdoをビジネスサイトとして活用したい企業にとっては、この価格でこの機能はありがたい思う。ページパートナーのシステムは、既存のデザインをテンプレートとして活用するもので、利用者にとっても、デザイン作成者にとっても有効なシステム。つまり、サイトを作る時に初めの一歩から作り始めるのではなく、似たような業種のデザインをテンプレートとして利用して、そこから作り上げていけばよいシステムで、作る方としてはぐっと手間と時間が節約できる。さらに、掲載するコンテンツやカテゴリもテンプレートとしてあるので、必要な情報をしっかりと掲載できる、より内容の伴ったサイト作りにも貢献できる。ある種、jimdoで作るサイトの質の底上げにつながると思う。
ここで私が強く思うのは、この素晴らしい箱を有効に使うこと。jimdoという素晴らしい箱がある。伝えたい素晴らしいメッセージがある。これに「伝わる言葉」「わかりやすい構成」が加わることでウェブサイトとしての機能が格段に上がると信じている。伝わる言葉、わかりやすい構成で発信する。このことはこの国では意外に語られていないと思う。私はPlain Englishでの英語ライティングを長く教わってきた中で、ロジカルなわかりやすい発信の大切さを痛感している。日本語だって同じ。今年からは日本語でのわかりやすい発信を広く呼び掛けていく活動をしたいと思っている。
会場では、創業者のMattias Henze氏からページパートナーの話を詳しくお聞きできたし、KDDIの高畑氏とも意外な友人でつながっていることも分かったりで、寒~い雨の中ではあったけれど、いい時間を過ごさせていただいた。
おまけにいただいたpoken(ポーケン)も面白かった。早速PCでいろいろ試してみた。この国では新しいものは女子高生から流行るものだと思っていたけれど、今回は悪いけど先を越したぞ! -
がん患者の不安にどう向き合うか ~ 伝わるコミュニケーションの重要性
昨日のNHK朝のニュースで、がん患者の不安と向き合うための研修をする医師たちが紹介されていた。
これまで医者は患者の病気を治すことに集中してきた。今は治すことよりも患者の気持ちに寄り添う医療が求められている、と。
研修では、がん患者に治療の変更をどう説明するか、などをテーマにしたロールプレイで練習する。担当医役の医師は優しくではあるが一方的な変更を患者に告げる。これに対して、他の研修者(医者)たちが、いろいろな意見を言う。
「まずは、患者がこれまでの治療をがんばってきたことをほめてあげるべき」
「まずは患者の想いやこれからの希望など、ゆっくり話を聞いてあげるべき」
こんな意見が出ていた。
ここのところ人と人とのコミュニケーション、特に言葉や文書によるコミュニケーションをより伝わるものにすることを集中的に考えている私から見ると、やっと医者がコミュニケーションという言葉を知ったのね、という感覚。
私は医者の家庭に育った。だからかもしれないが医者にはちょっと手厳しい。家族である医者たちがどう患者と接してきたかは詳しくは知るよしもないのでこれについては置いておかせてもらうとして、これまで自分や家族が外の病院で診てもらった医者たちの中には、医者ってそれでいいの?と思えるような人たちもいる。特に、長く病気をしてきた両親の付添中には、悲しいかな患者とその医師の間にコミュニケーションが存在しないことを知った。
NHKニュースで取り上げられたこの話題を見ると、これからは医者が患者とコミュニケーションを取ろうとしているらしい。ここで、是非提案したいことがある。
患者とのコミュニケーションの研修に、ロジカルな情報整理、わかりやすい日本語でコミュニケーションする方法を、方法論として取り入れてほしい。ここでのコミュニケーションは人の生死にかかわる大切なやりとりだ。医者からの優しい語りかけや激励も必要だが、本当に伝えるべきことが明確にあるはず。これを、きっちりと伝えるのが本当の仕事なのだ。コミュニケーションが、ただの優しさで曖昧になり、伝わらなければいけないことが伝わらない、そんなことがあっては絶対にいけないのである。
日本語は、感情や考え、想いといった主観的な情報と、事実という客観的な情報が混在してもそれほどおかしい言語ではない。しかし、これが混在することでわかりにくさ、曖昧さが増していく。事実と感情を切り離し、きちんと患者と対峙して伝えるべきことをしっかりと伝えることが医師の役割なのではないか。
医師と患者のコミュニケーション、もちろん難しいことはたくさんあると思うが、医師も患者も、しっかりと気持ちも必要な情報も伝えあえる、そんなコミュニケーションができる病院が増えることを期待している。2010年 4月 6日 | Filed under ロジカルコミュニケーション, 気になることタグ: コミュニケーションスキル, ロジカルシンキング
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