アメリカで感じた日本 (その2 Boston)
娘をエグゼターアカデミーに送った後、一路Bostonへ。一人で身軽なのでAmTrakで移動。North Stationからは地下鉄でCopley Squareへ。スーツケースを転がしながらも非常にスムーズな旅だった。
Copleyを拠点に2日間、近くのPublic Gardenを散策したり、Shopping Centerを見たり、Newbury Streetを歩いたり。半日は地下鉄でCambridgeまで足を伸ばして、アメリカの大学街を体感した。
Bostonというところは全てが品よくコンパクトに揃った街。生活するには最高の場所だ。大きなショッピングセンター、Newbury Streetには古い建物をうまく利用したブティックやカフェが並ぶ。
街なかには広々としたPublic Garden。芝生が広がる中に程よく木陰を作る木々。木陰のベンチで読書をする人、のんびりランチを食べる人、小さな子供と散歩する母親、ジョギングする人たち。花壇や噴水、池にはスワンボート。どれもセンス良く配置されている。憩いの場、とはこういう場所を言うんだなぁ。
CambridgeではHarvard Square駅にあるHarvard大学のキャンパスへ。広々とした芝生、古い建物との調和で落ち着いた雰囲気を醸し出す。Harvardを目指す高校生たちが親子やグループで見学に訪れる姿をあちこちで見かけた。
BostonはExeterと違い立派な都市である。しかし東京のそれとは全く違う。日本との決定的な違いは「落ち着き」だろうか。街全体に古い建物がたくさん。それを実にうまく使っている。日本の発想は、「壊して新しく建て直す」となる。なぜ?素朴な疑問。なぜ日本だとそういう発想になるのだろうか。
落ち着いた社会というのは、つまりは成熟した社会。日本にいるとアメリカの悪いところが目につくが、とんでもない。(これもメディアによる洗脳か?)アメリカの社会は成熟してるのだ。新しいものに目を奪われがちな日本人、歴史の浅い国の中でも古いものを大切にしているアメリカ人。全てがいいというつもりは毛頭ない、でもちゃんと学ぶべきところは学ぼうよ、と言いたい。
落ち着いた成熟した社会を作り出しているのは、やはり人々だと思う。日本という国は日本人をどうも窮屈にしているところがある。文化に関係するところが多いのかもしれないが、アメリカ人たちのそのおおらかさが心地よい。
窮屈さを感じない大きな理由を発見した。それは、誰も人のことを気にしていないこと。これは楽。こちらからアプローチすれば丁寧に対応してくれる。でも、基本気にしていないのだ、人のことは。何だかわからないのだが「見られていない」感。これが心地よかった。
日本では結構人は人を見ている。気にしている。それが社会をとても窮屈にしている気がする。型から外れたもの、出っ張った杭を探してはケチをつける。いいじゃない、放っておいてあげなよ、人に迷惑かけているわけじゃあるまいし、ってこと、多々ある。そういうところが日本人の成熟していないところ。相手に対するリスペクト、そういうものが今の日本人には不足してる。もっと大人になろうよ、日本人!
Bostonではそんなことを感じてきた。
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