デザインコンサルティングファームと大学を拠点に、システムズエンジニアリングとイノベーティブ思考の実践、支援、教育に携わる日々。あいかわらず毎日が学びでいっぱい。大学院を修了して5年。おかげさまで、少しずつ社会に貢献できることが増えてきたと感じています。
弊社Bridge-work. Inc,はinnovative DESIGN LLCにパートナーとして参画し、システムズエンジニアリング、イノベーティブ思考を用いたシステムデザインのサポート、新規事業創出支援、またこうした考え方を広めるための教育活動に携わる一方、渡辺個人としては引き続き慶應義塾大学大学院SDM(システムデザイン・マネジメント)研究科にて特任教員としてプロジェクトや学生への教育、企業との共同研究や研修などを行なっています。
この5年の間に、弊社の理念は"customerとprovider"をつなぐ価値創造のお手伝い、へと昇華しました。Bridge-workが取り組んできた日英翻訳、ウェブサイト構築も、使う人と提供する人をつなぐ価値造りのお手伝い。「情報」のわかりやすさを高めることによる価値創出支援と言えるでしょう。今では対象を拡大し、企業が様々なシステム、サービス、プロダクトとしてcustomerへ、そして社会へ新しい価値を届ける"新価値創造"に少しでも貢献することを目的として、インプット、咀嚼、アウトプットの日々を送っております。
"ブリッジ"としての存在を忘れずに、これからも社会への価値創出、価値提供に貢献して参ります。
May 2018 Kyoko Watanabe

アメリカで感じた日本 (その1 Exeter)

7月3日から約1週間、アメリカを一人で旅行してきた。久し振りの海外、それもひとり旅。たったの数日間でもいろいろなことを感じた時間だった。

Phillips Exeter Academy

Phillips Exeter Academy

元々の目的は、娘をボーディングスクールのサマープログラムに送り込むこと。ボストンから北に1時間ほど車を走らせたExeterという街に着き、翌日がプログラムのレジストレーション。アメリカ国内はもちろん世界38カ国から子供たちが集まる。東洋人も多かった。宿泊したホテルの朝食で、すでに多くの東洋人家族に遭遇。この中に日本人はいるかな?と耳を澄ませたが答えはゼロ。多分ほとんどが中国系だったと思う。

学校でレジストレーションを済ませてドームに荷物を運び、学校内をツアーして回った。ここでもものすごい数の中国人、韓国人。あちこちで中国語、韓国語が飛び交う。悲しいかな一人の日本人にも遭遇しなかった。

Exeterの街そのものが学校

Exeterの街そのものが学校

中国人や韓国人がすごいのは、その数だけじゃない。彼らは、少なくとも子供たちは、英語をほぼ自由に操る。親たちもそういう人がたくさんいた。ここに同じ数の日本人がいたとしたらどうだろう。子供は帰国やインターの子なら英語は普通に喋るが、親はどうだ?

そして彼らの教育への熱心な取り組み。実際直接話をして聞いたわけではないが(本当は中国人、韓国人の親と話をしてみたかった!)、少なくとも子供の両親は揃ってレジストレーションにやって来る。Book Storeで買い物をする様子を見ても、なんだかとても親の熱心さを感じる。(裏を返せば「過保護」ということになるかもしれないが)とにかく、一生懸命さを感じるのだ。世界という土俵でやっていくことを見据えた教育観なのか。日本の親たちに感じるそれとは漠然と違うと思った。

日本の親たちだって充分教育熱心だと思う。中学受験生の数はまだまだ伸び続け、大学受験熱だって決して衰えてはいない。ただ、私がアメリカで見た東洋の親たちとは方向が違う。それぞれの国内事情にもよるのだろうが、日本は今あちこちで言われているようにとても「内向き」に見える。親が、学校が、そして国が、全て内向きなのだ。ここが決定的に違う気がした。

Bostonの片田舎のたった一日の体験でも、今の日本の問題点が大きく浮かび上がるこの現実。かなり考え込んでしまった。

2010年 7月 22日 | Filed under 教育, 気になること
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英語でコミュニケーションしたい人 応援します

先日、友人からtwitterで英語の教材を教えてとリクエストされた。「アメリカ人の友人と楽しくコミュニケーションするため」という明確な目的。

ケリー伊藤氏に長い間師事していた私としては、やはり彼の著書の中から選ばせてもらった。

で、選んだのはこれ。

日米慣用句表現辞典 - これを英語で何と言う

結構厚みのある1900円する本。一つの日本語の単語から様々な英語の例文が見られるようになっている。日本語の言葉から英語の単語を導くものでなく、日本語の単語から、そこで言っている意味を噛み砕いて他の言葉で表現し、それを英語で表現している。

例えば、『諦める』という項目に「捨て子」とか「年貢の納め時」とかいった日本語を英語にした例文が載っている。いずれの言葉にも「諦める」という意味合いがある。例文の英語では「捨て子」はabandon、「納め時」ではsettle downを使っている。

友人に投げかけられたいい機会なので、英語について気を付けていることを少しまとめてみる。(といっても、みんなケリー伊藤氏の受け売り。)

日本語を英語にするときに一番大事なのは、言葉そのものを英語にしようとしないこと。ケリーがいつも言っているが、「お早う」を”It’s early!”という日本人はいない。ちゃんと”Good morning!”といえるのに、ちょっと複雑になるともうその発想は残念ながら消えてしまう。

お早う→good morning! の発想、これが常にできれば、日本人の英語表現力は格段に伸びる。だがしかし、「早い」は”early”だから・・・、と、すぐに辞書に頼りたくなってしまう。そこをぐっと我慢して、「お早う」で、自分が伝えたいことは何?と自問する。それは朝の挨拶。じゃあ、英語で朝の挨拶はなんていう?という展開に持っていく。この展開に慣れるようにするのがいいと思う。

どういうトレーニングが最も有効か。これについて少し研究してみたいと思う。簡単なことが簡単に言えるようになること。これが英語嫌いの日本人を少しでも英語好きにするポイントだと思う。これに少しでも貢献できたらな。

2010年 6月 27日 | Filed under LEARNING, 仕事, 気になること
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自治体WEBサイト ユーザビリティ評価2009審査発表会

昨日、6月22日、東京国際フォーラムの会議室で、NPO団体アスコエによる「自治体webサイト ユーザビリティ評価2009審査発表会」が開催された。共催のソシオメディアさんからのご案内メールでこれを知り参加した。

詳しくは別途まとめようと思うが、つまりこれは日本の自治体のウェブサイトの使い易さをチェックして、優秀なサイトの自治体を表彰するもの。今年は「引越し」と「子育て」という視点でのユーザビリティチェックを行ったということで、総合優勝と、引越し編、子育て編それぞれの優秀サイトが表彰された。

総合優勝は兵庫県姫路市。http://www.city.himeji.lg.jp/
総合的にユーザーの視点に立った使いやすくわかりやすいサイトとのこと。
引越し編の優秀サイトは大阪府大阪市。http://www.city.osaka.lg.jp/
子育て編の優秀サイトは千葉県習志野市。http://www.city.narashino.chiba.jp/
という結果となった。

評価するのは、評価の専門家と評価手法のワークショップを受講した一般の人たち。この人たちが一定の評価基準で評価を数値化した。

ユーザビリティのキーワードは、「わかりやすい」「知りたい情報にすぐに行きつく」という徹底したユーザー目線。お役所仕事とは正反対の姿勢という気がするが、日本の自治体もだいぶサイト運営の問題点を理解して改善するようになっているなぁと思った。

それというのも、こうした「評価審査会」という活動が推し進めているものだと思う。外から審査、評価されて表彰される、という場があれば、頑張りがいもあるというもの。こうした活動がより重視され評価されれば、市民、国民のための情報提供サービスのレベルが全国的に上がり、電子政府のレベルも上げていくことになる。とても意義のある活動だと思う。

昨日は、姫路市と習志野市のウェブサイト担当者が各自治体サイトのリニューアルの経緯や工夫について講演。アスコエの安井代表からは、評価基準についての説明。共催のソシオメディア篠原氏からは、専門的な評価基準であるヒューリスティック分析についての解説があった。

評価のプロセスの一つに「ペルソナ評価」というのがある。これは、一人のユーザーを細かく設定して、その人がサイトをこういう目的で使いたい、というところまで想定する。(これがペルソナ)そしてその人が必要とする情報にいかに容易に辿りつけるか、を評価するのがペルソナ評価。今回は、「引っ越しを予定している独身サラリーマン」と「子育て中の主婦」というペルソナを設定して評価している。

ウェブサイトデザインにおいて(ウェブサイトに限らずあらゆるデザインにおいて)ペルソナ分析というのが今行われているが、自治体という全ての年齢、職業の市民を対象としたウェブサイトをデザインする際に、どういったペルソナを設定するのだろうかと疑問に思った。あらゆるケースをペルソナに設定することは不可能なので、ターゲットをある程度絞るのだろうか。残念ながら質疑応答の時間を逃してしまったので、今度機会をみつけて詳しい人に聞いてみようと思う。

ヒューリスティック分析では次の5つの視点で評価するそうだ。

1.アイデンティティ・・・その自治体らしさが出ているか
2.インフォメーションアーキテクチャ・・・静的ページで情報がわかりやすく整理されているか
3.インタラクション・・・別画面へのリンクや、動的ページの操作や構造が分かりやすいか
4.アクセシビリティ・・・高齢者や障害者、読み上げソフトなどへの対応
5.コンテンツ・・・内容のわかりやすさ

う~ん、全て大事な視点。こういう評価基準が体系的に存在していたことをよく知らなかったのだが、いずれも常に重視しているポイントばかりではある。(読み上げソフトへの対応については、実際あまり考慮してこなかった!これもサイトによっては非常に重要ですな。)

今回の会に参加させていただき、ウェブサイトのユーザビリティをめぐる現状の再確認ができた。そして、同時に自身が向かおうとしている方向がここで考慮されていないことにも気づいた。「グローバリゼーションへの対応」という視点である。

受賞した自治体サイトの英語ページをざっと見たところ情報が少なく感じた。英文を読みこんだわけではないが、果たしてこれが直訳英語なのか、英語としてわかりやすくまとめられたコンテンツなのか。また、自治体のウェブサイトは内向きでいいのか。今、日本の内向きさが問題視されている中、自治体サイトは日本人のためだけに内側に情報を伝える役割が果たせればそれでいいのだろうか。例えば観光地や特色を海外に発信していくという視点も必要なのではないか。(例えば映画”The Cove”のような問題が起こらないようにする努力も。)会の途中から沸々とこんな疑問がわいてきた。そして終了後、篠原さんにこのことをぶつけてみたところ、これは今後の重要な課題、という見解を頂いた。

私自身、新しいステージに向かうはじめの一歩のこの時期に、自分の方向性を再確認できたとても有意義な機会となった。ソシオメディアの篠原さんとお話しすると、いつでも元気をいただける気がする。感謝です!

2010年 6月 23日 | Filed under LEARNING, 仕事
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10歳の誕生日に思うこと

このブログ、しばらく振りの更新。うぁ!一ヶ月もあいてしまいました!そうこうしている間に昨日は6月20日。ひっそりと、ブリッジワーク10回目の誕生日です。

10周年、なんて言うと盛大に何かしなきゃいけない気もしますが、そういう柄でもないし、そういう時期でもないし。とにかく過去の10年間に経験した数々のDOTS(点)を大切にして、次の10年でそれらを線でしっかりとつないでいきたい。Steve Jobsではないですが、今そんな思いでいっぱいです。

この10年間、本当にいろいろなことがありました。仲間たち、そしてお世話になった皆様には感謝しています。反省することもたくさんです。でも全ての経験が私を、そしてブリッジワークを成長させてくれる糧となることを信じて、これまで以上に社会貢献を目指したいと思っています。

今年は新しい10年の始まりの年。ステップアップのための充電期間のような気がしています。たくさんインプットしてたくさん考えてたくさん悩んで、新しい空気もたくさん入れて、文字通りブレインストームの一年にしたい。嵐を乗り越えた後の自分をちょっと楽しみに思いながら。

会社の10歳の誕生日、大切な区切りの日にそんなことを思いました。

2010年 6月 21日 | Filed under お知らせ
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裁判員の弁護士評価が低いわけ NHK朝のニュースを見て

以前、「医師に日本語のコミュニケーション力を!」といった内容をブログに書いたが、今朝のニュースを見ながら、「弁護士にも!」とあらためて日本人のコミュニケーション力向上の必要性を感じた。

今朝のNHKニュースでは、「裁判員による弁護士の評価」を取り上げていた。調査結果によると弁護士の評価は低かったとのこと。ある裁判員経験者によれば、弁護士は評価できなかった、という。その方の話をまとめると、その理由は以下のようになる。

1.検察や証人の主張に逆らって、一方的に被告を弁護する主張を繰り返す。
2.その主張が論理的でない。
3.弁護をしたいのはわかるが、言っていることが分かりにくい。

結局この裁判では、弁護士の主張が余り通らない判決となったようだ。

弁護士業界サイドの話では、裁判員制度が導入されたことにより、弁護のやり方を変える必要が出てきたという。

これまでは、弁護士というのは裁判で被告を弁護する材料を全て並べたて、出来るだけのことを主張する、というやり方だった。裁判官の判決では、弁護士の主張に何か矛盾点や疑問があっても、すべての主張を総合的に見て最終判断する、というものだったのでこのやり方がまかり通っていたらしい。

ところが、裁判員が判断する場合、弁護士の主張の中に一つでも疑問や矛盾点があれば、他の主張も全て怪しく感じるようになる。なるほど、よくわかる。つまり、ある友人と、「すっごくいいやつ」と思って付き合ってきても、「え、あいつこんなところあったの?」というところを見つけてしまい、それが自分には相容れない場合、「あいつどんなやつだよ?」と全てを否定してしまうことがある、といったようなことだと思う。

そこで、弁護士としては、論点を絞ってわかりやすく主張していくことが求めらる用になった、という。つまり、情報を分類してトピックを絞り、論理的に組み立てて相手にわかりやすく伝える。コミュニケーションの基本である。実によいことではないか。というか、これまでは何だったんだろうか。一般の人の考え方が「裁判」という場に入ったおかげで、こんなに当たり前のことがやっと気付かれるようになった。

何事も閉塞された場ではそこの常識だけでまかり通り、外の常識とのギャップに気付かない。外からの風を入れることはとても大事だ。今、この国のカラパゴス化が広く危惧されているが、日本の中に目を向ければ小さなガラパゴスがたくさんあるような気がする。そういう一つ一つが、オープンエアーを少しずつ取り込んで活性化されれば、大きなガラパゴスは自然となくなっていくんだろう。

それには、コミュニケーション力向上は欠かせない。